こころ軽やかな暮らし

東京で暮らしていると、知らず知らずにイライラしてしまいます。少しでも、余裕 を持てるようにと暮らしを考える日々です。

2015年04月

昔の愚痴ばかりを、話す人がいます。

一番相手したくない人ですよね!

こういう方は、鬱症状が出ていて、しかも物を捨てられない人が多い様に感じます。

こんな症状がでている人は、、多くのガラクタを溜め込み、過去に囚われています。

過去の恨み辛みが渦巻き、無間地獄にいるが如くの状態です。

状態としてはイライラしてるか、気が抜けボートしています。

ガラクタには、その人から出される負の想念が蓄積されて行きます。

また大事にされていない物体はそれ自体が、負のエネルギー体となって行きます。

負の想念と負のエネルギーの相乗効果で、住んでいる人の気を消耗させて行き、清浄な気が入ってくるのを妨げます。

まさに負のスパイラルと言った状態を、醸して行きます。

こうした気が、不足した状態が続くと精神や身体に問題が出てきます。

では、どの様に解決すれば良いのでしょうか?

答えは、もちろんまずガラクタを捨てることです。

これで気の巡りは、外からの流入も内からの循環も劇的に変わります。

でもいきなり、ガラクタを捨てろと言っても根深い執着心によりほとんど不可能です。

先ずは、気功、整体などで気を補充し、執着心をほぐし少しずつ過去に囚われている心を現在に引き戻しガラクタを捨てていくことです。

もちろん、何かのきっかけで自分からガラクタ処分できる人もいます。

天の配剤ということです。

放置すれば気は衰弱し、命に関わります。

やる気が落ちている程度の時、不用品を捨て掃除をするだけで気は経絡を正常に循環し始めます。

あまりにひどい時は、プロに頼るのも一つの手です。

アクションが解決の第一歩です。





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阿佐ヶ谷の神明宮のツツジは、満開です。

4月の日差しは、すべてのものを美しく見せてくれます。

気を補充し、内に溜め込んだ邪気を放出させる良い機会です。

最近では、パワースポットなどと言われますが、明るい気になるお気に入りの神社や仏閣などみじかにあると最高ですね。

私は、阿佐ヶ谷の神明宮がお気に入りのスポットです。

以前は、仕事前に神明宮にお参りしていたのですが、朝に弱くて!

今は、神明宮の隣の世尊院の観音堂にお参りしてから通勤しています。時間的ロスは5分くらいなのですが、朝はこの5分が節約できないのですね。

さらに私のお気に入りのパワースポットが、井の頭公園です。

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池の周りを一周すると、疲れが取れていきます。この池から竜が、天空に飛び立ったという伝説がある霊験のある池です。

パワースポットでの注意事項は、自分のわがままな御願いをしないということです、気の入れ替えだけを考えてのんびりしてください。

我欲には、こっそりと忍び寄るものがありますよ。





親は、ついつい子供に家庭の不都合を隠そうとします。

もちろん、何でもかんでも話せば良いというものではありませが。

私は、子供とも家庭の難題は共有すべきと考えます

ただし、特に驚かそうとか、悪意のある気持ちの時は絶対にダメです。

親が覚悟を持って話したり事実を見せる事は、時には重要になってきます。

聞いたり見たことは、その時は分からなくてもその子が成長し似たような場面に出くわした時作用します。

記憶は、熟成されるのです。

辛い記憶も、良い経験値と変化していきます。

ただ酷い記憶は、なかなか良い経験値となりにくく、悪い方向に向かいやすいようです。

ですから、親は辛い経験をさせたくないと思ってしまいます。

親が正しいと思うことは、子供と共有しましょう。

子供の成長は、親の成長になります。

ここが大事です、子供の成長は必然ですが、子供と共に親も成長します。

人間は、死ぬまで成長します。

人間は大我と言われる宇宙の根本と結ばれている部分と、表層の自我とに分かれます。

今自分と思っている部分は、いわゆる自我です。

この自我を、成長させなければなりません。

人は、一人ではなかなか成長できません、人とひとの交わりの中で成長するのです。

なかでも重要なことが、親子の対話であり正直な会話です。

子供と、対等に会話をしましょう。

子供も成長し、自分も変わりますよ。








自分がどういう人間か見えている人は、謙虚で誠実になっていきます。

正しい目線で自分を眺め、やはりそれと同じように回りや社会を見る事ができます。

いわゆる大人(たいじん)と言える人です。

大人とは、徳が高い人、度量の大きい人、人格者を言います。

ただの大人(おとな)とは、違うわけです。

多くの人は、自分の本質も他者から見えている自分の姿も見えません。

もしくは、見ようとしません。

自己中心的で、頑迷な精神へとなっていきます。

そして、特に自分に甘く、他人に厳しくなっていきます。

いわゆるこれを、小人(しょうじん)と言います。

小人とは、器量の狭い人や、人徳のない人のことです。

人との付き合う時、なるだけ大人(たいじん)とのみ交わるようにしましょう。

物事が見えている人は考え方の視野も広がり、まわりにいる人も心安らいでいきます。

いろんな経験をし、目ざとく生きてきた人は一見見識が広いように見えますが、一緒にいて気疲れしてしまう人がいます。

知識や経験が、自分を見る目を曇らせているのです。有識者や知識人と言われる人でも大人と小人がいます。

知識や経験が、自分を見つめる経験にならない場合があるということです。

自分を正しく見ている人は、執着心を捨てた度合いにより決まります。

執着心の強弱により心の目の開閉度が変わってくるのです。

執着心は、また心の重さにもつながります。

執着心の強い人は、重苦しい面倒な人です。

執着心の低い人は、心軽やかな人です。

執着心という鎧を捨て、心軽やかに生きたいものです。








整体師をやっているのに、軽い腰痛のため接骨院に行ってきました。

火曜日が唯一の休み自覚症状的にはそれほどではないのですが、自己整体で治す気がしなかったので接骨院に行ってきました。

治す気が起きない最大の原因は、二日酔いです。休みの前日は、つい気が緩んで!!

それで、体を動かす気になれなかったのです。

それと、体の歪みは自覚できても人から見てもらわないと危機感が生まれません。

接骨院の先生の診断は、身が足が短く左肩が3センチ高くなっているとの事でした。

すごい歪みですよね。

治療の結果は、自覚できないのですが外部からの手が入ると自己整体もやりやすくなります。

体の歪みの矯正は、治療家からの外部の手と自分でストレッチと筋力トレーニング、そして正しいウォーキングが必要です。

今日は気合を入れてちゃんと自己整体をやらないと明日の仕事に支障が出ます。

気合!気合!






人は、他人の言葉では変われないようです。

よく、「あの時の恩師の言葉で気ずかされた」

人の言葉の重要性を、知らしめる事象ですね。

でも実際には、他者からの助言や注意は人の耳に入りにくいようです。

なぜ人の言葉が、心に染み込んでいかないのでしょうか?

まず第一に考えられるのが、その人に対する反発心です。

反発心だけでは無いのですが、親からの言葉は通じませんよね!

第二は、本人が言われたことに対して自覚が無い時。

他者が、おかしいと思って注意や助言しても受け手側が全く自覚して無い時は流されてしまいます。

第三には、発言した人を見下している時。

バカにしていたり、立場が下だと思っている人の助言や忠告など洟(はな)も引っ掛けない事でしょう。

第四に、ライバル視している人の言葉も聞き入れたく無いものです

第一の事象に似ていますが、聞いた事で敗北感を感じるのが嫌で耳を塞ぎます。

最後は、一番多いのが信念が強過ぎる時。

これは、良い時も悪い時もありそうですし、相手の言葉を噛み締めている事も多いので、他のものと違う場合が有ります。

このように私たちは、人の言葉では変われないし、変わろうとしません。

人が変われる時は、自分の心の鎧を脱ぎ捨て心が軽くなった時人の言葉が入ってきて変化成長します。







人間生きていれば、嬉しい事や悲しい事など常に襲って来ます。

平穏な時でも、意味のある事柄です。

私たちは、この世には魂の成長と言う修行のために生まれてきています。

学校みたいなものです。

成長のためのカリキュラムは、個人個人違いますし、学校みたいなものですから学年の違いもあります。

高収入を得ていて社会的に有名な人が、必ずしも魂の次元で高学年とは限りません。

学びの課題は人それぞれで、高収入な人生を学ぶために今世へ出てきた人もいると言うことです。

他者を羨むのではなく、今のこの状況は自分が望んで受けているカリキュラムの一つと理解すべきです。

そうとは言え、やりたくない課題もしょっちゅうありますよね!

ただどんなに難しいと思われる課題も、必ずその人が解ける範囲の課題です。

小学校1年生に2年生の問題は、出さないということです。

ただし逃げてばかりでは、その課題は絶対に解けません。

逃げたり嘆いたりばかりで無く、魂への課題の本質を見抜く力を発揮しましょう。

そこに、人生の本質を垣間見ます。楽しみですよね!








過剰に人の目を気にして、萎縮している人。

過剰に人からの注目を、集めたがる人。

見た目は、全く違う性格に見えますよね。

ただ同じなのは、他者からの評価を過剰に意識しているところです。

人は皆幼い頃は、親からの評価が全てでした。

えも成長するにしたがい、自分の目標を持ち自分で自分を評価していきます。

成長という物ですよね!

評価が甘い辛い高い低いなど個人差はあるでしょうが、自分で下した評価は自分で克服が可能です。

すぐには再評価はできないかもしれませんが、ワインなどと同じで熟成され成長します。


他者の評価にのみ依存すると、常に欲求不満や恐怖の感情に囚われます。

もちろんスポーツやコンクールなど競い合うものは、他者が評価や価値をつけます。

自分の思っていた評価と違う物を受ける事も多々あります。

でもコンクールで賞を取れなくても自分で価値を評価出来ていれば、次へのステップに進めます。

他者に評価の価値を依存していると、大きく傷つき審査員や世間を恨みます。

そこからは、次のステップも何も産みません。

あるのは、恨みと悲しみです。

けして他者からの評価は要らないと言っているわけではありません、依存や過度な期待するなという事です。

もちろん、他者からの評価は、大きな励みになり大きな活力になります。


自分で自分によく注目し、自分への評価は自分で正しくつけられる訓練が必要です。


そして、自分への評価は自分の良心に嘘をつかないと自信を持てるようにならなければ!

できれば、心が軽くなりますよ(≧∇≦)






昔の亭主は、飯・風呂・寝るの三つの言葉しか家で発しな方と言われています。

真偽のほどは、わかりませんが夫婦の会話が少なかったのは事実のようです。

現代だったら即離婚ですよね!

離婚のハードルが低くなっていますから、小さな誤解から離婚とならないようにしないといけません。

家庭内で、浮いてしまっている男性は今からすぐにチョットした事でも「ありがとう」と言ってみましょう。

「ありがとう」を言う時感謝の心を込めてください。

たまには、相手が何気なくやっている家事も、全て自分がやらなければと考えて下さい。

大変ですよね!


奥さんは母親ではありません、無償の愛とはいきません。

夫婦相互に感謝し合う心が必要で、その表現が「ありがとう」などの一声の挨拶です。

男性はつい批判や皮肉を言ってしまいますが、ぐっと我慢して感謝の言葉を短く言いましょうね!

家庭内に感謝の波動が満ちて来れば、色々好転反応が出てきます。

人間は、上手く生きられないで悩む人、上手く生きようとし過ぎて疲れはてている人。

色々です。

人がこの世に生を受けた段階で、人にはこの世で生きる意味を持って生まれています。

次から次とくる問題を、解答していくのがこの世の定めと言えます。

学校のテストと違い答えが一つでないところが、この世の問題の難しいいところです。

心に嘘をつかない行動を取れた時、その結果は正しいのです。

結果が、受験不合格であったり失恋であったとしても、プロセツが大事であり、志が大事なのです。

死後にお金や資産は持っていけません。名誉や、業績も持っていけません。

死後に持っていけるのは、その人が愛に満ちた生き様からくる魂の成長だけです。

ですから、表面的に上手く生きている事を目標にしてもあまり意味がありません。

情報が過多になりすぎ、経済的に上手くいっている人の情報が耳に入りやすく、経済的に成功している人の話は一見華やかに聞こえます。

そういう方たちが、幸せかは人によります。

表面的な小賢しく上手く生きたことは、空いだけです。内面は他者からは解りませんし、未熟な人から見ると羨ましく思えます。

生き方の価値基準は、他人の目ではありません、自分の良心が全てです。

良心を押さえつけずに生きる事です。

そうすると心の底から、笑みがこぼれてきますよ!






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